「勉強」ってなに?(子供に聞かれる前に予習する)
パパ、「勉強」ってなに?
こんな質問がもうすぐ来るだろう。
私の聡明で超かわいい娘たち(5歳長女・2歳次女)の質問には全力で答えなければならない。
ぶっちゃげ「パパすごーい」と言ってもらいたい。
「池上彰さんみたーい」と思ってもらいたい。(多分池上さんを知らないけど)
パパはハゲだけどそれだけじゃないんだぜ!ってところを見せたいのだ!!
というわけで以下エントリーは質問が来る前の予習です。
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少なくとも、私は学校で学ぶ「勉強」はキライだった。
年号を覚えられないし、歴史上の偉い人の名前もわからない。
だから「歴史」の授業はキライだった。
でも、代わりに「伝記」を読むのはスキだった。
歴史上の偉い人がどんな子供時代を過ごし、どんな苦労をして、どんな発見や、どんな功績を残したのか。
同じくすごいどんな人と交流し、どんな晩年を過ごし、その人の残したものがどうやって現代に受け継がれていくのか。
また、どうして戦争は起こり、いろんな国にはどんな利害関係があって、どんな社会情勢で、どうして戦火は拡大していったのか。
国が興り、発展し、停滞し、衰退し、滅んでいく。そこにどんなドラマがあったのか。
夢中で読み、気づけば朝を迎えていたことも何度かある。
計算が間違っている。使うべき式が間違っている。
だから「算数」の授業もキライだった。
でも図形問題や、問題自体を考えるのはスキだった。
解き方そのものを考える。式を構築する。あっちから、こっちから紐解いていく。
まるでパズルのように。何度もばらし、構築する事を繰り返す。
もしくは友達にわかりやすく、かつ解りにくい問題を作る。
クイズを作って出す感覚。一生懸命問題を作ったことは覚えている。
スペルが違う。文法が違う。
だがら「英語」の授業も嫌いだった。
でも、英語の先生(アメリカ人)と話すのはスキだった。
正しい英語を話すことより、英語で話してくれるアメリカを感じるのがスキだった。
先生も日本語が怪しくて、お互いカタコトで話をするのにたまにすごくフィーリングが合うのが楽しかった。
参考書に載っている実験を行い、参考書に載っている結果を見る。
そんな「理科」もキライだった。
でも、自分で考えるのは大好きだった。
どうしてこうなるのか。どうしてそうなるのか。
問題はそこら中に転がっていて、逐一仮説を立てるのがスキだった。
その仮説を立証するために実験内容を考えることがスキだった。
思ったような結果が出なくてもそれはそれで楽しかった。
親のPCを壊し、カメラを壊し、時計を壊して中をのぞいた。
(当然怒られたが)それが楽しかったのを覚えている。
先生の(問題の)意図を読み、その通りの答えを書く。
そんな「国語」もキライだった。
でも本はたくさん読んだ。小説も、ノンフィクションも写真集も。
学校の図書館にある本は全部読んでやる勢いだった。
作者の意図を感じさせない。説教くさくない。
なのにその世界観に一気に引きずり込まれ、読み終えた後に満足感を与えてくれる。
そもそも文中で意図を感じさせない作家としてのプライド。
そんな作家を尊敬したのを覚えている。
そんなこんなで学校の成績はいいところ中の中。
希望する高校に落ち。希望する大学に落ちた。
それでも、まあ、今何とかやっている。
今でこそ、あの時もう少し頑張っていればもう少しいい高校、いい大学にいけたかもと思わないでもない。
思わないでもないが、特別後悔もない。
唯一後悔があるとすれば、
「もっと勉強を楽しめばよかった」ということくらいだろうか。
案外マジメに学校の授業に反発していた気がする。
そして学校や大人にふてくさってた。(ちゃんと不良にはなれなかったけど)
そういうのって時間の無駄だったかなと思う。
多分、私から娘たちに「勉強しろ!」とは言わない。
むしろ「勉強するな!」といっても隠れてこっそり勉強したい。
そんなものを娘たちが見つけてくれたらすごく幸せだと思う。
そのためにいろんなものを見せてあげたい。
そのためにいろんなものを聴かせてあげたい。
そのためにいろんなものを触れさせてあげたい。
そのためにいろんなところへ連れて行ってあげたい。
「勉強」ってなに?と聞かれたら、
「何で勉強しなくちゃいけないの?」って聞かれたら。
その時点で私の想いが伝わっていなかった。ってことかなー。
「勉強」・・・楽しんでほしいな。