「死ぬ」ってなに?(子供に聞かれる前に予習する)
パパ、「死ぬ」ってなに?
こんな質問がもうすぐ来るだろう。
私の聡明で超かわいい娘たち(5歳長女・2歳次女)の質問には全力で答えなければならない。
ぶっちゃげ「パパすごーい」と言ってもらいたい。
「池上彰さんみたーい」と思ってもらいたい。(多分池上さんを知らないけど)
パパはハゲだけどそれだけじゃないんだぜ!ってところを見せたいのだ!!
というわけで以下エントリーは質問が来る前の予習です。
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「死ぬ」こと。つまり「生きる」こと。
これに明確な答えが出せたらその人はきっとブッタかキリストか。
少なくともブログ書いてる場合じゃない。
でも、このブログを書いてるのはふつーのハゲたオッサンで。
可愛い娘たちと愛する妻を守るため日々駆けずり回るサラリーマンだ。
つまり、わからない。
わからないけど、少しだけ、それこそ子供が生まれて来てくれたおかげでほんの少し「死ぬ」こと。「生きる」こと。について考えが変わったのでその辺に答えがあるのかもしれない。と思うことを書いてみる。
私も思春期の頃、唐突に「死ぬ」ことに恐怖を感じたことがある。
とにかく恐ろしく、考えれば考えるほど絶望した時期がある。
だけど今はそんなに怖くはない。今死んだら、いろいろ残された家族が困ってしまうだろうな。って点で、心配はあるけれど。
痛みや、苦しみは出来るだけ遠慮したいなっていう死に方の希望はあるけれども。
この気持ちを説明するのはとても難しい。
まさに「言葉に出来ない」感情なのかも知れない。
結局このエントリーにリンクしていく。そんな話なのだ。
改めて、この気持ちを言葉にしてみる。
伝わると嬉しいな。
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生まれてから成長し、妻に出会い夫婦になり。
子供が生まれて初めて「自分が主人公」じゃなくなったわけだ。
それまで舞台の上が世界のすべてだった。
世界は舞台の上にしかなかったのだ。
それが子供が生まれて初めて目の前に「客席」があることに気づいた。
そして、上質な椅子に座り、ゆったりと舞台を眺めることができる場所があることを知った。
初めて舞台を眺める場所があることを知ったのだ。
これは万の言葉で説明しても、舞台の上しか知らない人には伝わらない。
実は舞台以外に世界があるなんて信じられないのだ。
本当はこの世界は舞台と客席がセットなのに。
そして、後ろには外へと続くドアがある。
まだ開いてないが、いつか開くドアがあるのだ。
実は世界のすべてだと思っていたところは、町中にある場末の寂れた劇場の中なのかもしれない。
一歩外へ出るとそこには大きな町が広がっているのかもしれない。
主人公を降りて、舞台を降りた経験があると。
舞台の上以外に世界があることを経験していると。
そのドアの向こうにも新しい何かがあるだろうということは分かるんだ。
もちろん、まだ開けたことはないので何があるのかは説明出来ないけれど。
もしかわいい私の娘が死ぬことに恐怖を抱いているなら。
それは仕方がない事なんだと伝えよう。
舞台の上しか世界がない間は、怖いんだと伝えよう。
舞台から降りて客席があることを知れば。
客席から舞台を眺めてみれば。
世界は繋がり、もっと広大で、無限で一瞬の花火なんだと気づくだろう。
この劇場から出ていくこと。
死ぬことなんて、その程度の事なんだと。
きっと生まれたときもこの劇場に入ってきたんだと。
ゆっくり演じることを楽しんで。
満足するまで観客として観賞したら。
後ろのドアは静かに、そして気づかないうちに開く。
本当のエンドロール。
突然のエンドロール。
それは主人公でも、客席の観客でもなくなること。
その先に何があるかはわからない。
だけど舞台を降りたときと同じくらいきっと何かが待っている。
だから、その向こうを心配しなくていいのだ。
ドアが開くまでゆっくり、じっくり劇場のなかを楽しみなさい。