推敲はこれからです。

パッションのまま書いてます。飲んだ日が更新日。ブログとともに肝臓を鍛えます。

サラリーマンを辞めて仕事に何を求めていたのか分かった

 
年末にサラリーマンを辞めて、早いもので1ヶ月が経とうとしています。
 
お陰様で結構楽しく充実した生活を送らせてもらっているのですが、やっぱりやめる寸前と辞めた直後は生活リズムも含め何もかも変わってしまうことに強い不安を感じたのです。
 
平日は決まった時間にスーツを着て家を出て。
決まった電車に揺られ、決まった時間に会社へ到着。
決まった仕事をこなして、また家路につく。
 
そんな生活を約10年過ごしたのです。
 
先輩方からすればたった10年でしょう。
 
とはいえ、人生の約3分の1はそんな生活をさせてもらっていたのです。
 
本当に有り難いことなんですが、実はサラリーマン生活はそんなに嫌いじゃなかったのです。
 
不満が無かった訳ではないですが、「ま、こんなもんだろ」って言うラインで日々結構楽しく過ごしていたのです。
 
じゃあ、何で辞めたんだって聞こえてきそうですが。
 
一言で言うなら「やってみたい事」が止められなかった。という使い古した言い回ししか浮かばないのです。
 
と、言うことで今後の進捗状況はまた別の機会にエントリーとして書いていきたいなと思います。
 
あんまり目に見えて進んでないので正直、まだ報告することがないって言うところなんですけれども。
 
で、ですよ。
 
最近、改めてサラリーマン生活を振り返ってみて。
唐突に気が付いたのです。
 
私は評価して欲しかったんだ。という事に。
もっとぶっちゃげると、褒めて欲しかったのだ。という事に気がついたのです。
そういう目で客観的にサラリーマン時代を振り返るとちょっと赤面しそうになるのです。
 
振り返ってみて恥ずかしいのは学生時代までだと思っていましたが、まさかのサラリーマン時代、つい最近のことを振り返って赤面してしまうとは。
 
自分で気付いてなかっただけに本当に恥ずかしい。
 
私は他の人に比べると給料の額にシビアだなと思っていたのです。
 
もっとドライで、ロジックに仕事をするタイプだと思っていたのです。
 
でも、結局給料にこだわるのは給料=真実の評価だと思い込んでいたからなのだと気付いたのです。
 
ドライに仕事をする風に見せていたのは自分風に仕事をして上手く行けば、みんながより注目してくれると思っていたのだなと気付いた訳です。
 
いや恥ずかしい。そこに気付かず、そんな素振りを見せていれば、嫌でも先輩方は気付いたのでしょう。
 
思い返せばそんな私に優しく気付かせてくれるようなアドバイスをしてくれた事もあったのです。
でもその当時は、理解してませんでした。
もしくは誤解して受け止めてました。
 
いや、重ね重ね恥ずかしい。
 
改めてまた、先輩方と飲みに行こうと思います。
そんで、あの頃のことを笑い話にしてもらわないと。
 
落ち着いたらまたぼちぼち連絡してみようっと。