理想の父親像とリアルな父との思い出
パパは大きくなったらなんになりたい? - 推敲はこれからです。
続きです。(続くかな?)
(前回の内容がとんでもないところでぶった切って(続く)としたので、続く内容がちょっともう覚えてないヨ。そんなモンだよ。私のエントリーなんて。)
パパである人(きっとママもだろうけど)にはそれなりに理想のイメージがあると思います。
こんなパパでありたい。
こんな家庭を築きたい。
世間一般の所謂理想のパパ像から、オリジナリティ溢れるパパ像まで。
ま、人それぞれです。
世の中には忙しすぎてそれどころじゃないパパもいるかもしれませんが。
とりあえず、皆一度はこんなパパになりたい。と考えた事があるという前提で。
で、とにかく自分の理想とするパパ像を考えるとき。
良くも悪くも(意識的にもしくは無意識に)自分の父親と比較して考えるものです。
当然、知り合いのパパだったり、テレビでみた理想のパパ像を思い出したりと複合的にパパ像を作るのでしょうが。
自分がされて嫌だったことは子供にしたくない。
自分がされてよかったことは子供にもしてあげたい。
そうやって、体験を元に理想像を作っていくのはごく一般的なアプローチ。
と言うわけで、私も自分の父との思い出を思い出し、理想像を描いたなと。
前回も書きましたが、私の父は(今は結構仲良しだけれども)記憶の限りほとんど家にいませんでした。
ごくたまにいるときは凄く邪魔な存在。いたら迷惑。とまで思っていました。
でも、改めて振り返ってみると良かったなと思うことがあるのです。
1つ目。
仕事をしている姿を(間接的に)見せてもらえた。事。
(自営業者なら常に毎日見せているかもしれませんが。)
父は私が子供の頃に独立して自分の会社を立ち上げました。
子供の頃は当然父が何をしているのかわかりませんでしたし、解ろうとも思いませんでしたが。
ある程度大きくなった私が学生時代、アルバイトとして福岡の片田舎から大阪まで1ヶ月手伝いに行ったことがあるのです。
父の仕事の関係者のところへ。
直接父親の手伝いをしたわけじゃなく。
父の紹介で、父の仕事の関係者のところへ行く。
そこで、間接的に仕事を手伝い、間接的に父が何をして、どう社会で戦ってきたのかを知る。
コレはいい経験になったなと。直接父と仕事したり会話するよりも素直に受け止めることが出来てよかったなと。
2つ目。
前回のエントリー「パパは大きくなったらなんになりたい?」に。
多分父は常に即答できる状況だったんだなと。
ま、その分家庭を顧みることはあんまり無かったので、良し悪しですが。
とにかく、父は夢を語る人でした。
酒が入ると必ず大きな夢を語るタイプです。
子供の頃は、「また始まった」位に捉え、ちょっと辟易していたけれども。
いま、私も34歳になり。
家族親族、友人、仕事仲間と誰でもいいですが、そんな周りの人に夢を語ることが出来るかと聞かれると、ちょっと自信がありません。
そういう意味では父は常に夢を持ち、その夢をかなえるため努力し、かなえたらすぐまた次の夢を追いかける。と。
そういう姿は少なくとも良かったなと。
(何度も言うけど、その分家族に迷惑をかけていた。ともいうのですが。)
3つ目。
2つ目に重なるのですが。
父は仕事に一生懸命だったおかげで、完全に放任主義でした。
おかげで自由に生きてこれたなと。
進路も留学も、就職も独立も。
とにかく自分で決めて、それに父が異を唱えることがあった記憶は無いのです。
この話にもかかわってくるのですが。
私の父に「脱サラします。農業します」と報告した際も。
「ふーん。いいんじゃないの。頑張れば?」と。
「それより次の仕事(夢)の話なんだけど・・・」と、私の報告のために2人で飲みに行ったはずなのに、父の次の仕事の話で盛り上がる。と。
還暦もすぎた父のバイタリティに圧倒されたものです。
ま、悪いことをしたときは鉄拳が飛んできたこともありましたが。
少なくとも法に触れるようなことが無い限り、好きにしなさい。を徹底していたのは私にとってありがたかったのです。
という訳で、父との思い出を思い出しました。
その上で、それを踏まえて、理想のパパになりたいなと。
「パパは大きくなったらなんになりたい?」と聞かれたら。
「パパは大きくなったらカッコいい(理想の)パパになりたい」
と。
次、聞かれたときは応えようと思うのです。