家族のために「何を」頑張るの?
の続きです。
頑張るのは手段であって目的ではないよ。ていう話なんですが、
同僚の離婚騒動について思うところがありました。
同僚(Aさん)は人一倍まじめで、努力家で、完璧主義でした。
成績は人並み。(営業です)
とはいえ、その姿勢は会社にとって模範的で、上司の覚えも良いのです。
そのAさんが家庭内別居中だそうです。
離婚を迫られて辛いのだそうです。
「家族のために頑張ってきたのに」と。酒の席の話です。
この話を聞いて、つらつら考えがまとまらない日々が続いているのですが、
どうもこの『家族の』『ために』『頑張ってきたのに』という短い文章に
違和感があるのです。
「家族の」・・・Aさんの家族構成は夫婦と1人息子です
「ために」・・・ココがよく解らない。家族の何のために?
「頑張ってきたのに」・・・頑張るのは手段です
私にはこの文章は、「目的は実ははっきりしてないけど、とにかく何も考えず頑張ったから俺は悪くない」に聞こえるところがあるのです。
「家族のために」って言葉は便利ですが、コレって目的としては漠然としすぎです。
「家族が『幸せ』であるために」
「家族が幸せであるには『いつも笑顔でいたほうがいい』」
「家族がいつも笑顔でいるには『経済的な不安がないこと』が必要だが十分ではない。」
「家族がいつも笑顔でいるには『夫婦のコミュニケーションが十分ある』が必要だが十分ではない」
「家族がいつも笑顔でいるには『子供とのコミュニケーションが十分ある』が必要だが十分ではない」
・・・・
とまあ、一方方向的に考えてもいろいろな必要条件が出てきますし、
これだけあれば大丈夫!な十分条件は多分ない。
つまり、
「家族の(『色々な問題解決』『発展』『成長』などの結果の)幸せのために」
「『仕事』を頑張った」
のは「家族の幸せ」という目的の全体のほんの一部の必要条件を達成するために「頑張る」という手段を選んだだけなのです。
それなのに、
「とにかく頑張った」=「俺は悪くない」に聞こえるから違和感を感じるのです。
頑張るという手段を選んだ時点で思考停止になっているような感じがするのです。
まとまらないな、、、続きます。