「考えること」を「考える」
「毎日毎日、一か月も一年も同じテーマを考える人は研究者に
毎日毎日、1時間、1分ごとに新しいテーマを考える人は
ビジネスマンになった方がいい」
(『私のマル秘名言集ノート』より抜粋)(※非売品)
・・・続きを書くのが苦手と言う言い訳。
言い訳のために、それっぽい名言を創作してみました。(ごめん)
恥ずかしげもなくいろんなエントリーを書き殴っております。
「続く」って書いていながら続いていないエントリーがたくさんあるのです。
過去のエントリーを読むと恥ずかしいのです。
しかしながら!言い訳させていただきますと!
いろんなエントリーがあったほうが!
読まれる方々にとっても面白いかと!思うのです!(力強く断言)
とはいえ、世の中には本当に一つのテーマについて日々深く深く考えることができる人もいるのです。
そういう人がノーベル賞を取ったり、新しい発明をしたり、社会を革新してくれるのだと思うと尊敬と感謝しかありません。
それに比べると私はなんと薄っぺらいことか。考えに深みがないのは常々感じております。そもそも深く考えないので、本を読もうが、話を聞こうが表面的な理解で終わってしまっているのです。(反省)
というわけで、反省の意味も込めて「考えること」を考えてみたのです。
まずは、どうもこの「考える」と言うのには
「広い・狭い」と「深い・浅い」という4分割があるようです。
あわせて、「多角的に」「立体的に」「総合的に」などの枕詞をつける場合もあることから、「ぱっと見、よく解らないものや、間違って認識しているものをキチンと認識し落とし込む」ことが目的のようです。(イメージです)
よく啓発本に「本は複数冊を同時進行で読みなさい」と言うのがありますが、あれは「広く」「多角的に」考えていくことでより明確にしようというアプローチなのかなと。
逆に「本は7回音読しなさい」という啓発本もあります。
アプローチは真逆なだけで「深く」「総合的に」考えていくことで目的にたどり着くのでしょう。
ま、とりあえず、「狭い」よりは「広く」。
「浅い」よりは「深く」考えていければいいなと。
その上で、どちらのほうがアプローチとして正解かは、テーマごとに選べるといいなと。
イメージですけど、「答え」があることは解っている場合(でもその答えがわからない場合)は広くアプローチしていくほうが早くたどり着くようです。
「答え」があるかどうかも解らないけど筋道をたどりたい場合は深くアプローチを選択している気がします。
というわけで、「考えること」を考えてみました。
あと、ここまで書いて思ったのですが、世の中には案外「考えない」という選択を取る人もいますよね。
考えることが趣味のような私からするとかなり不思議ですが、そういう人はどういう人なのかとても興味があります。
もう少しこの辺「考えて」みます