みんなバラバラの結婚式(が最近一般的なのかもしれない)
この前、同僚の結婚式に出席したのです。
式も後半、いよいよ新婦から両親への手紙を朗読。
まあ、泣いたね。号泣したね。
新婦とは、当日式で初めて会ったのに。
新婦の親より泣いた。
それをみていた他の同僚の引いた顔。
初めて見た顔だったね。
次の日の出社がちょっと心配だった。(机が無くなってないか)
で、ですよ(あ、机はありました)
改めて考えるとあの「両親への手紙」って両親への「感謝」と「決別」の宣言じゃないですか。
今まで育ててくれてありがとう(感謝) からの
これからは○○君と幸せな家庭を築きます(決別)
って流れが一般的な定型文じゃないですか。
(2人の娘を持つ父親といて泣いちゃうのは仕方ない。)(しつこい)
で、よく考えると「新郎からの手紙」はあんまり聞かないですよね。
(あったら泣けるかどうかはおいておいて)
つまり実はコレって一昔前の価値観に沿った儀式なんだなーと思ったわけです。
家同士の結婚。
旦那の家に嫁入り。
嫁ぐ。
という昭和の匂いがする価値観。(いいとか悪いとかじゃなく)
もしこういう価値観を新郎、新婦とその両親が全員一致で共有していればいろんな問題はきっと無いのです。
マリッジブルーも成田離婚も嫁姑問題も産後クライシスも多分無いのです。
(いや、あるかもしれないけど。だいぶ少なくなりそうだなって)
問題なのは、最近の結婚はそれぞれがそれぞれの価値観を持ったまま(すり合わせることのないまま)結婚式を迎えている人々が多いことなのです。(断言)
両親と新郎新婦の結婚の価値観が違う
両親でも父親と母親で違う。
新郎と新婦でも違う。
だって、さっきの話。
本当に一昔前の価値観で共有された人たちが書いた手紙なら
今まで育ててくれてありがとう(感謝)からの
夫の家に嫁ぎます(決別)
になるはずです。
なのにあんまりそういう手紙を聴いたことがない。
コレって実は
今まで育ててくれてありがとう(自分の両親への感謝)からの
これからは○○君と幸せな家庭を築きます(自分と義理の両親への決別)
じゃないかとも取れるのです。(考えすぎ?)
でも、そう考えると披露宴は両家(家主)の連名だったし。
最後の新郎の父親からの挨拶では
「私の(家の)娘になりました」とか言っちゃったし。
(娘のパパとして勝手にイラっとしたし。)
新婦の両親はいつでも帰っておいでーウェルカム!(意訳)
って挨拶しちゃうし。
新郎は何にも考えて無いし(失礼。でも多分事実)
みんながみんな自分の価値観を押し付けあっている
もしくは、発表しあっている場になっていたんじゃないかと。
新郎の父親からすると
(当たり前)結婚したら嫁に来る。つまり私の(家の)娘になるのは当然だ。
新婦の父親からすると
(当たり前)いまどき結婚は個人の繋がりだ。私の娘はいつまでも私の娘だ。
新婦からすると
(当たり前)結婚したのは私。私は夫とパートナーになっただけ。義理の両親や親戚とは別家庭。当然自分の実家とも別家庭。
別家庭としてちゃんとおつきあいします。それ以上は求めません。求めないで。
新郎からすると
(当たり前)ぼかぁこんな人と結婚できて幸せだなぁ(ちょっとアホ)or
結婚しちゃったなぁ、遊べなくなるなー、お小遣い制になったらどうしよう(やっぱりアホ)
・・・だ、大丈夫なのかな。(不安になってきた)
少なくとも、夫婦になるときは新郎新婦だけでもその辺すり合わせておいたほうがいいと思うのです。
結婚式と披露宴と新婚旅行と役所関係の手続きが一通り終わって落ち着いた頃に、勃発する夫婦喧嘩(もしくは冷戦)の原因の一番はこの辺の不満な気がするのです。
自分の親に対するスタンス。義理の親に対するスタンス。
夫婦の価値観。親に対する価値観。
結婚式の準備が大忙しなのはとてもよく解るけど。
一昔前なら良くも悪くも「ステレオタイプ」な価値観があってそれに沿うか反抗するかだけの判断でよかったものだろうけど。
(反抗するなら「かけおち」するという選択しかなかっただろうけど)
そう考えると結婚したくない人の気持ちも解る。
だって考えること、決めること、話合うことが多すぎる。
自分の子供たちには結婚しないように勧めてみよう。
きっとするんだろうけど。
悲しいなー。
(長女4才、次女2才のパパです)
(親バカです)