推敲はこれからです。

パッションのまま書いてます。飲んだ日が更新日。ブログとともに肝臓を鍛えます。

「仕事」ってなに?(子供に聞かれる前に予習する)

 

パパ、仕事ってなに?

 

こんな質問がもうすぐ来るだろう。

私の聡明で超可愛い娘たち(5歳長女・2歳次女)の質問には全力で答えなければならない。

ぶっちゃげ「パパすごーい!」と言ってもらいたい。

池上彰さんみたーい!」と言ってもらいたいのだ!(多分まだ池上さんを解らないけど)

 

パパはハゲだけどそれだけじゃないんだぜ!!

ってところを見せたいのだ!

 

と言うわけ以下エントリーは質問が来る前の予習です。

 

※※※※※※※※※※※※※※

 

「仕事」って何だろう?

 

そもそも、「仕事」と「働くこと」は別の意味を持っていた。(と考えている)

「働くこと」は「仕事」を含むけれど、例えば家族の晩御飯を作る。洗濯物を干して畳む。掃除をするなど家事全般も「働くこと」と私の中で定義している。

 

つまり「働くこと」は生活を維持することも含むのに対し、「仕事」は文字通り「仕える事」を指す。「仕えることに対価を貰う」事だと思っている。

 

その昔、といってもまだたった200年弱前に産業革命が起こった。

どこでどんな風に始まったのかは学校の歴史の教科書に譲るとして。

 

産業革命以前は「働くこと」が生活の大半だった。

というより「働くこと」が生活だったのだ。

朝起きたら、水を汲みにいき。かまどに火をいれ。ご飯を作る。

まきを割り、破れた服を修繕し、自分の食べる野菜を育てるために畑に出て。

そんなことをしながら子育てをして、現代社会でも行われる家事全般をこなしていたのだ。

すべて「働くこと」だ。

とっても大忙しだ。

そんな中、「仕事」する暇なんてほとんど無かった。

実際、「仕事」(仕える事)が出来たのは特権階級の武士(や貴族)くらいで、それ以外の大半の一般市民は日常生活の中で「仕事」をしていなかったと思う。

 

とはいえ、少ないながらも現金収入は必要だったし(大半は物々交換で済んだだろうが)人は商売をしていただろう。

 

でも、やっぱりそれは規模が大きくなっても個人商店であっただろうし、どちらかといえば「仕事」ではなく生活の一部の「働くこと」だったと思う。

 

そんな生活を人類は数千年以上営んできた。

「働くこと」はたくさんあったがその中に「仕事」はほとんど無かった。

 

そして、産業革命が起こった。

産業革命を一言で言い表すと「選択と集中」だ。

 

あるところに家具職人がいた。彼と彼の家族は箪笥を作っていた。

いままでは自分の自宅にある作業部屋で、木を削り、切り抜いて、組み立てて一つ一つを1から10まで作っていた。

一つの箪笥を作るのに数ヶ月。日々の生活の「働くこと」の空いた時間を利用して少しずつ作業を進めていた。

そして完成したら町に持って行き、売るのだ。

いくらで売れるだろう。売れるまでわからない。わからないけど売れないと現金収入にならないのでちょっと困ってしまう。

そんな生活を過ごしていた。

 

あるとき、「仕事」の求人を見つけた。

「規模拡大のため人員募集!家具の組み立て要員あつまれ!」

毎日、決まった時間に工場へ行き、決まった時間工場で「仕事」すれば毎月決まったお金をもらえるらしい。

作業内容は決まった場所で、同じ組み立て作業を延々と繰り返すこと。

 

1から10まで1人で作っていた家具職人からすればとても簡単なことだ。

 

さて、その家具職人は毎日決まった時間を工場で過ごした。

そうすると家庭で行っていた沢山の「働くこと」が妻と子供たちだけで行わなくてはならなくなった。とてもとても大変だ。

 

でも代わりに毎月決まった現金を手に入れられるようになった。

そして気づいた。

 

毎日していた水汲みを代わりに(お金を払って)誰かにしてもらおう。

服が破れたら新しい服を(お金を払って)買おう。

野菜を買おう。肉を買おう。外食しよう。

 

(お金を払って)他の人にしてもらおう。

 

そうして生活するために必要だった膨大な「働くこと」は誰かの「仕事」になったのだ。

 

そして更に気づく。

もっとお金があればもっと「働くこと」を減らせることに。

妻は自分の家を掃除するより他人の家を掃除したほうがお金になることに。

子供は将来もっとお金を稼げるように、今「働くこと」より勉強したほうがいいことに。

 

そうやって社会には沢山の仕事が生まれて、いつの間にか「働くこと」より「仕事」の方が増えていった。

そして生活と「働くこと」は切り離されていった。

 

それから約200年後の現代。

「働くこと」は高度に細分化され、ほとんど「仕事」に置き換わった。

それこそ家事も子育ても教育も介護も誰かの「仕事」になり。

生活から「働くこと」がほとんど消えた。

生活に残ったのは「家事(の一部)」「子育て(の一部)」「趣味」「生きがい」「夫婦の会話」「子供との交流」といったところか。

そして、そうなると生活と仕事にバランスを求めるようになった。

「働くこと(生活すること)」をほとんどすべて誰かの「仕事」に振り分け。

代わりにお金を払う生活を維持しながら、生活と仕事にバランスを求めるというのはかなりのタイトロープダンサーだ。

 

そもそも矛盾した考えと言っていいかもしれない。

 

「仕事」ってなんだろう?

答えになっていないが、一言で言い表すと

現代社会において(お金を払って)生活するためのほぼ唯一の手段」

だろうか。

 

その上で、だからこそ、仕事にお金以上のやり甲斐や生き甲斐、楽しみを見いだして欲しい。

「働くこと(生活すること)」だけしか選択出来なかった時代に比べて少なくとも「仕事」は選べるのだから。

そういう意味において好きなことを「仕事」にすればいいと思う。

 

・・・ていう話。

誰か子供でも分かりやすく意訳して。(くれないかなー。)