推敲はこれからです。

パッションのまま書いてます。飲んだ日が更新日。ブログとともに肝臓を鍛えます。

もっとも神様を身近に感じる国なのかもしれない

 

いや、全ての国を調査したわけではないので。断定できないのですが。

 

実は私。

二十歳そこらのころ、約2年ほどアメリカのロサンゼルス近郊に住んでいたことがありまして。

 

ま、留学というか、遊学というか。

 

一番近いのは、アメリカに行ってフリーターしてました。だと思うのですが。

 

私(34歳)に年齢が近い人は皆知ってると思いますが、あの頃はヒッチハイクで世界を回るのがちょっと楽しそうと思ってました。(テレビの影響です)

 

なので、ロサンゼルスに一応暮らしながら、いけるところには貧乏旅行で出来るだけいろいろまわったのです。(さすがにヒッチハイクは1回しかしたこと無いです)

 

で、アメリカには圧倒的なスケールの雄大な自然があるのです。

 

グランドキャニオン。

モニュメントバレー。

デスバレー。

ヨセミテ などなど。(他にもいっぱいありますが。)

 

この辺は、自分で運転していきました。

んで、夜明け前から散策したり、だだっ広い大地で寝袋で寝たり。

(んで、凍死しかけたり。)

 

思い出すと、それだけで何本かエントリーを書けそうですが。

(ちゃんと思い出せるか自信は無いですが。)

 

とにかく、スケールの違う、もの凄い景色を目の当たりにすると人間考えや、思いも結構簡単に変わるのよね。って経験をしてきました。

 

で、まあ、友達もいたわけです。

生まれた国も、常識も、価値観もまるで違う友人たちと話をするのはとても楽しかったのを覚えています。

 

そんななか、当時ちょっとうらやましいと思っていたのが、「宗教を持っている」というのはなかなかに良いかも知れない。と言うことでした。

 

良いことも悪いこともとりあえず神様のせいです。って感じ。

思考がシンプル。だって神様の言う事が正しいから。って感じ。

 

私は当時(現在もだけど)特定の宗教を信じていたわけではなく。

クリスマスはパーティをして、結婚は教会で。正月は神社に行き、葬式はお寺で。

みたいなのが、普通だと思ってました。

 

それをつたない英語で説明するのがとても難しい。

で、「結局お前は無神論者だ」と言われれば反論できない事が多かったのです。

 

さて、あれから10年くらいの月日が流れ。

結婚もして子供にも恵まれ。

大きな不幸に見舞われることもなく。

仕事も私生活も順調なのです。

 

そんな日々を送れることを。日々感謝しているのです。

 

だれに?

 

多分、神様にです。

 

仏様にもキリスト様にも八百万の神様たちにも。多分感謝しているのです。

 

経典もしらず、教典もなく。ルールも作法も、祈る場所すら適当だけど。

 

多分、神様はそこら中に溢れていて。

常に関わり、常に接しているのかなと。

特に何かをしてくれるわけでもなく。

だけどいつもそばにいてくれる。

 

多分それが、私の神様なんだろうなと。

 

さらにいうと、多くの日本人は結構そういうところあるんじゃないかなと。

 

冒頭に戻ります。

 

グランドキャニオンに行ったとき。

私は夜明けと共に、1人ぼんやりと景色を眺めていたのですが。

 

そこへご年配の日本人旅行客がやってきて。

 

「すごい」「素晴らしい」といってしばらくすると手を合わせたのです。

 

そのときはさすがに話しかけて「何で手を合わせたんですが」とは聞けなかったけど。今ならなんとなくわかるのです。

 

グランドキャニオンそのものに感謝したんだろうな。と。

 

グランドキャニオンに神様を感じた。のかなと。

 

大きな声で、「いただきます!」「ごちそうさま!」が言えたね。って我が子をほめながら、これがもしかしたら日本人的最初の神様との交流なのかもしれないなって。

 

そんなことを思った次第です。