結婚し、子供が生まれて幸せな話(の裏話)
昨日のエントリーです。
主観を(イメージを)わかりやすく伝えようとすると、結果的に詩的な表現に近くなってしまいました。
「究極の、理想の幸せ」をイメージしてみました。
自分の実力ではこれが限界でした。
伝わると嬉しいなと思います。
で、それはそれとして。
実は上のエントリー、8割方書いた文章を一旦全部消して書き直したのです。
最初に書いたエントリーは書いている最中に落としどころがわからなくなったので、結果的にボツにしたのです。
ボツにしたのですが、考えるテーマとしてはとても有意義な内容だったのです。
自分でも面白いのですが、(自分的には)書き切ってアップした上記エントリーよりもボツになったエントリーの方が気になるのです。
でも、ボツのエントリー自体は消してしまいました。
ちょっと失敗です。
なので、忘れないうちに再度考えた内容を書いてみます。
当初、「結婚した時、子供が生まれた時に幸せになる条件はなんだろう?」という問いから考え始めました。
幸せの定義は人それぞれだろう。ということは条件の定義も人それぞれになる。
幸せの定義自体があやふやであれば、私の「幸せ感」は何をもって示せるのか。
逆に「不幸せ」な状況がなくなればイコール「幸せ」な状況である。と仮定できるのではないか。
「不幸せ」な状況はたくさんある。あるが、具体的に一つ一つ検証できそうだ。
「マリッジブルー」に陥る理由
「成田離婚」する理由
「嫁姑問題」が発生する理由
「マタニティーブルー」になる理由
「産後クライシス」が起こる理由
一つ一つを潰していけば、イコール幸せ(=不幸せじゃない)になるという仮定。
・・・という流れで考えていきました。
実はある程度、一つ一つに理由とその対策的なものを書きだしたのです。
たぶんそこそこ説得力のある内容になっていたのです。
ですが、はたと気づきました。
「不幸せじゃない=幸せ」という式自体が成り立たないのではないか。
成り立たないのだけれども、成り立っている気がしたのはどうしてなのか。
世間一般の常識的な考えに無意識に乗っていたのではないか。と。
その上で、そもそも「不幸せじゃない=幸せ」であるという常識でいると、その「幸せ」はあんまり「幸せじゃない」という矛盾を生む気がしたのです。
矛盾のある幸せは、幸せを蜃気楼のように見せてしまうのです。
捕まえることが出来ない、リアルじゃないものに感じてしまうのです。
だから、幸せを伝えるのがとても難しくなるのです。
言葉にすることが出来ないのです。
とまあ、つらつらと考えています。
まだまだまとまりませんが、この道筋から思考を積み重ねていくと新たな発見を見つけられそうな気がしているのです。
もう少し考えてみます。
一日5分くらいは。
残りは子供と遊び、妻と語らい、ちょっと仕事をがんばるのです。
てへぺろ。