推敲はこれからです。

パッションのまま書いてます。飲んだ日が更新日。ブログとともに肝臓を鍛えます。

新聞を捜せ

 

保育園からのお便りに「新聞紙を持たせてください」と書いてあった。

 

さて、困った。

 

我が家は新聞を取ったことが無い。

取っていたけど、やめました。はよく聞く話だが、最初から(夫婦になり、家庭を築いた当初から)新聞を取ってない。

 

そういう意味では新聞を取らない世代(世代?)のはしりかもしれない。

 

さて、困った。

 

近くに住む私の実家も数年前に新聞を辞めている。

老眼で字を読むのが辛いから。が原因らしい。

電子ブックで本を読むのは相変わらず楽しいらしい。

 

よく解らない。

 

さて、困った。

 

近くに住む友人知人も、新聞を取っている人は半々くらいだろうか。

最近では家に新聞がある友人宅にお邪魔した記憶が無い。

引越しや経費削減で見直しをしているところが多い気がする。

 

さて、困った。

 

しょうがない。近くのコンビニで買うかな。と思っていたが、近所に住む妻の親戚の家に遊びに行ったらあったので、いくらか頂いて帰ってきた。

 

良かった。

 

んで、こんなことがあって思う。

 

新聞の価値がーとか。

世間の常識がーとか。

 

そういうのは置いといて。

 

少なくとも、新聞は新聞「紙」の部分で結構使う。と言うこと。

 

「紙」としてあのサイズ、質感はちょうどいい場合があるって事。

 

何かを包んだり、子供の工作の材料になったり、窓を拭いたり、油を吸ったり。

 

とはいえ、「紙」として毎日使うほどの頻度は無いって事。

 

いいトコ、週1くらい。

 

もしかすると、週間の新聞が(内容も一週間掘り下げに掘り下げた読み応えのある情報で)来るなら、料金にもよるが頼んでもいいかもしれないな。とも思う。

 

私にとって新聞は

「情報」媒体としては少なくとも私にはあまり必要なく。

「紙」としてはたまに買ってもしょうがない。位のものになってしまっている。

 

と言うことに気がついた。

 

んで、更に。

 

こうやって、新聞一つでも、取ってる家庭、取ってない家庭がわかれてて。

 

昔のように(私たちが子供の頃のように)先生たちはうかつなことが出来ないんだなと思った。

 

ま、新聞持ってない!とクレーム入れる親はまだ私の子供の保育園にはいなさそうだけど。

 

例えば、「おうちにある新聞を持ってきましょう」と言っても。

普通の新聞を持ってくる子もいれば

スティングされてる地域の情報紙かもしれないし。(私の地域では普通サイズの新聞の半分くらいのサイズなんです)

競馬新聞だったり。

もしくは英字新聞だったり。

 

そもそも、新聞サイズの模造紙や包み紙を代りに持ってくる子もいるかもしれない。

 

皆が同じ新聞を見て(新聞社はちがくても)

同じサイズ、同じ質感の新聞紙がどの家庭にもあって。

両親が揃ってるのが普通で。

父親が外で働き、母親が家にいるのがあたりまえで。

皆歌えるヒット曲がTVやラジオからバンバン聞こえてきて。

教室で昨日あったTV番組の話をすれば、皆見てる。

 

なんて、本当にもうありえない。

 

で、ありえないのを前提にいろんなことを準備していかなければならない集団が集まるところ(学校とか、保育園とか。)は本当に大変だろうなーと。

 

と言うか、その方法をまだまだ模索しているのか。

革新中なのか。

 

目も肌も髪の色も違う子が集まり。

文化もバックグランドも宗教も常識も全く違う親が集まるようなことが当たり前にある諸外国とはスタートが違う。

 

出来上がっているものを壊してから作り直さなくちゃならないのは、本当に大変だと思う。

 

思うけど、面白いことでもあるなーなんて。

 

新聞紙のおかげで色々思ったのです。