「生理的に嫌い」な人を観察する
普通に生活していれば、多くの他者と関わりを持つのです。
良い人、悪い人、尊敬できる人、印象の薄い人。
日々、いろんなタイプの人と関わり、時に集まり、時に離れていくのです。
そんな日々を送っていれば、どんなに悟りを開いた人でも必ず
「生理的に嫌い」な人が出てくるでしょう。
「生理的に嫌い」というのはとてもパーソナルな区切りです。
完全に(私から)あなたから見た区切りです。
(私)あなた以外の人から見た場合、そう感じないことの方が多いかもしれません。
実は(私)あなた以外の周りの人からの評価は良い人のこともあるでしょう。
悪い人、尊敬できる人、印象の薄い人の場合もあると思います。でも「生理的に嫌い」ではない。
なのに(私)あなただけ「生理的に」「嫌い」と判断するのです。
これって実はすごく大事なことかもしれない。と最近思うようになりました。
一般常識的に「他人には分け隔てなく付き合いましょう」という前提では、当然ながら当たり障りなく付き合います。
仕事上の付き合いなら「嫌い」という感情を出来るだけ表に出さず、うまく捌く技術を持つのが「大人の嗜み」だと思います。
そういうことが出来ないと、いらないストレスを抱えたり、仕事や生活に支障が起きたりするのです。
ただ、逆に「処理」の技術だけうまくなっていくと、機械的に判断してしまうのです。
「生理的に嫌い」な人をまったく視界に入れなくなるのです。
表面上はうまく付き合っていても、「生理的に嫌い」な人の話や態度や行動が全く聞こえない、見えない、伝わらない状況になっているのです。
話を戻します。
「生理的に嫌い」な人はパーソナルな区切りなのです。
(私)あなたが(理由はわからないけど)個人的に判断をした結果なのです。
「嫌い」の理由は完全に(私)あなたの側にあるのです。
なのに、「生理的に嫌い」なため、それ以上考えることを拒否しているのです。
逆に「生理的に好き」で終わる人はあまりいないと思うのです。
「好き」には説明が出来るからです。
「○○だから」「好き」なのです。
「○○だから」をたくさん集めることで「大好き」になるのです。
補足:何となく「好き」はあります。
あるけど、「好き」なら考えるなと言っても相手のことを四六時中思うでしょ?
結果、「○○だから」をたくさん思いつくのです。(って話です。)
「生理的に嫌い」というのは感情の判断です。
どうしてそう判断したのか。何が自分にとって「嫌い」の理由なのか。
これを考えると実はものすごく自分を理解することが出来るのです。
アンバランスな経験値が問題なんじゃないだろうか - 推敲はこれからです。
ちょっとこの話とリンクします。
「好きなこと」「嫌いなこと」、「好きな人」「嫌いな人」
この両輪で考えると自分という人の輪郭がより鮮明にわかるのです。
自分のために、自分という人を理解するために
ちょっとだけ「生理的に嫌い」な人を観察してみましょう。
あ、自分に余裕があるときにしましょうね。
あと、そういう風に考えながら見ると、「生理的に嫌い」な人ともうまく付き合えるよって話かも。です。