推敲はこれからです。

パッションのまま書いてます。飲んだ日が更新日。ブログとともに肝臓を鍛えます。

「他人本位」「自分本位」のエントリーまとめ

 

このエントリーについて、皆知ってることを私も知ってる。

あんまり興味ないことも知っている。

知ってるけど気付いたからには最後まで言いたい。

ハゲたおっさんは言いたいのだ!

というわけで、聞いてください。

 

(以下、本文)

 

シリーズ化した「他人本位」「自分本位」のエントリーのまとめ(とりあえず現時点で)です。

 

「自分本位」の人へ

例えば(スーパーすごい)上司に「君はもっと客観的になった方がいいよ」とアドバイスされたら。

そうアドバイスされて、まじめに悶々と考え込んでるひとがいたら。

 

これってつまり「=空気を読め」っていうことなのです。

それってつまり「=考えるな」ってことなのです。

 

「考えるな」ってことを悶々と考え込んでも袋小路へ迷い込むだけなのです。

 

「考えるな」ってことは「=決定権(答え)を自分の中に置かず、あなたが属するグループや会社全体や社会一般に委ねる」ということなのです。

 

さらに言うと「=決定権を委ねた以上、間違っていてもそれはあなたのせいじゃないよ。(あなたが属するグループや会社全体や社会一般が間違っているのだよ)」ってことです。

 

これってつまり、「=考えるより早く行動した方がいいよ」ってことなのです。

 

その上で、「=もし間違えていることに気が付いたら「考えずに」出来るだけ早く方向修正する」のがいいよっていうアドバイスなのです。

 

あなたに必要なのは、言われたアドバイスについて悶々と「考える」のではなく、自分の中にある決定権を外へ委ねるという勇気なのです。その上で「考えない」という選択を取ることなのです。

 

自分自身で「考えて」決定することが当たり前の人(私も含め)からすると

決定権自体を放棄するのは結構勇気のいることです。

こういう考え自体間違いだと「考えて」いる場合もあります。

が、過去のエントリーでも書いている通り

もっとも大きなメリットは「考えない」ことによる時間短縮なのです。

 

オートマチックな判断をより速く行うことが最大のメリットだと思う場面では積極的に「他人本位」を選択するべきなのです。(こういう場面の方が多い気するのです)(自戒を込めて)

 

それがつまり=「君はもっと客観的になった方がいいよ」ということなのです。

(まあ、アドバイスしてくれた上司によるって話でもあるのですが。)

 

 

そして「他人本位」の人へ

もしあなたが「もっと主体性を持て」とアドバイスされたら。

 

これってつまり「もっと考えようよ」ってことなのです。

それってつまり「空気を読まなくていいよ」ってことなのです。

 

今までの人生において、決定権を放棄してきた(=物事の判断を自分の属するグループや会社や一般常識に委ねてきた)人にとって考えるということは、自分で考えて自分で決めるという作業の繰り返し自体が難しく、めんどくさいことでしょう。

 

考えた結果、他人と違うこともあるでしょう。

その時、周りに逆らって自分の考えに従うのは勇気のいることです。

 

オートマチックに判断出来ていて、それで今まで問題なかったのに。

なんでわざわざそんなめんどくさいことをしなければいけないのか。

そう思ってしまうのも仕方ないかもしれません。

 

繰り返しになりますが「他人本位」の人はメリットがたくさんあります。

だから現代社会において皆争うように「空気を読もう」とするのです。

 

でも、デメリットもあるのです。

 

最大のデメリットは「先頭に立てない」ということです。

リーダーになれないということなのです。

(本質的に日本にリーダーたる人が少ないとかいう意味合いを含んだり含まなかったり。)

 

そしてもう一つ、「話し合いが出来ない」ということです。

 

これって問題になるのは会社(組織の中)だけではないのです。

家庭においても自分で決めなければならないことが当然あるのです。

夫婦で問題解決のために話し合う場面もたくさんあるのです。

 

そんな時、価値観の違いや、経験の違い、音楽性の違いetc・・・

 

一つ一つを自分の言葉で相手に伝えなければならないのです。

 

そんな時に

「自分の実家はそうだった」

「○○さんちの旦那はイクメンだ」

「○○さんちの奥さんは料理上手だ」

なのになんであなたはできないのか?

 

という、夫婦のルールや共通認識を作る上で、他人との対比で話し合いをしてもケンカになるだけのです。

 

もしくは決定権を(無意識に)放棄していると

「ルールはルールだから」

「法律は法律だから」

「雑誌で、テレビで言っていたから」

「○○さんちがそうだから」

だから正しい(少なくとも間違いではない)のだ。終わり!となってしまうのです。

そして黙ってしまうのです。

 

話し合うとは、どちらが正しいかを競うのではなく、そう考えるに至った過程を理解し合う作業なのです。

 

その時は、自分で「考えて」決めていなければならないのです。

そういうときがたまにあるのです。

 

 

 

とまあ、「他人本位」「自分本位」のエントリーをまとめてみました。

まとまってない気がしますが、私の能力の限界です。

 

皆さんはどうですか?

 

あ、やっぱり「知ってた」話でしたか。

 

知っているのにご清聴ありがとうございました。

 

 

とりあえず、満足。